今でこそボタンを押すだけで洗濯が完了する便利な時代。
忙しい時や大事な服は、クリーニング店にお願いする選択肢もあります。
けれど昔の人はどうやって、服を洗っていたのでしょうか。
今回は【日本昔の洗濯事情】を紹介します!
目次
石けんが日本に来たのは安土桃山時代
日本に石けんがやってきたのは、織田信長や豊臣秀吉が生きていた安土桃山時代。
けれど贅沢品だったため普及せず、一般的に庶民が洗濯に石けんを使うようになったのは明治以降でした。
明治以前の人たちはどうやって体や衣類を洗濯していたかというと、「灰汁(あく)」や「米のとぎ汁」です。
昔の人はかまどでご飯を作っていたので、毎日灰がでたのですが、その灰を利用して洗濯していたんですね。
当時の食事はパスタやカレー、ハンバーグなどの油汚れはが出なかったため、灰汁や米のとぎ汁で十分汚れが落とせました。
当時の洗濯は踏み洗いともみ洗いが主流
江戸時代に入るまでは足で衣類を踏んで洗う「踏み洗い」が主流で、江戸以降は桶に入れて洗う「もみ洗い」をしていました。
昔の洗濯のイメージである『洗濯板』が普及したのは明治以降。
そのためそれ以前の洗濯は、手や足で汚れを落としていました。
クリーニングの祖先は紺屋?
クリーニングの始まりはなんと室町時代で、石けんが日本にやってくるよりも前のこと。
紺屋(こうや)とは、室町時代から明治の中期にかけて日本中の城下町に点在し藍染をしていた人たちのことを言います。
藍染と洗濯業を兼ねていたため、クリーニングのはじまりだと言われていますよ。
洗濯女という職業もあった
さらに江戸時代になると【洗濯女】が登場します。
洗濯女とは、大商人や裕福な屋敷の洗濯物を集めて共同の井戸で洗う人のこと。
洗濯する女性を指すのではなく、そういった職業があったようです。
クリーニングの始まりは、紺屋や洗濯女から誕生したと言われているんですよ。
ドライクリーニングは明治中頃から始まった
明治まではクリーニング屋さんも、石けんやソーダを使って衣類を板や石段に叩きつけたり、棒で叩いて洗濯していました。
けれど明治中頃になると、ドライクリーニングの技術が日本に上陸。
フランス人から技術を学んだ日本人が、横浜に初のドライクリーニング店を開業されたそう。
横浜にはクリーニング発祥の碑があるので、お近くの人は見に行ってみてくださいね!
日本の洗濯事情の変化まとめ
今回は簡単に昔のお洗濯&クリーニング事情を調査してみました。
灰汁で服を洗っていた時代からすれば、今はかなり簡単にきれいに洗濯をすることができますよね。
またクリーニングの歴史も、明治から考えると150年ほどの歴史があります。
先人たちのおかげで、今の便利な生活があるんだなぁと思うと感謝ですね。